ホツマが人生学習で得てきたこと

ホツマがいままでの人生で学んできたこととかを、みーんなはきだしまーす。

奇跡講座 レッスン70

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こんにちは、ホツマです。

今日も、奇跡講座のシェアです。

いままでワーク◯◯日目と書いてたんですが、今日からレッスン◯◯に変更しました。

なぜかというと、ワークを開始したときは、1日1ワークで進めるだろうと思ってたんですが、65日目の時点で、
「私の機能(はたらき)は神が与えたものだけである」
という主題に向き合ったとき、自分の中で反発のような、なぜかこれまでのようにワークをスムーズにできない状況になったのを感じて、そのまま次に進んでも問題ないんですが、何となくこの主題をもう数日繰り返したほうが良いなと思ったので、3日くらいやりましたんで、何日目という感じで書けなくなったからです。

これも、本書には最初に書いてあり、1日1ワーク以上やってはいけないが、必要であればひとつのワークを数日やっても良いとのことなので、このワークはすんなりくるまで3日くらいやってみました。

とくに、
自分がこれまで自分のために作り出した全てのゴールを手放す必要がある
というところに、ビクッときましたね笑

神が与えた機能とは救済であり、それは相手も自分も赦すということであり、それを通した世の光となることであるということです。

それ以外のはたらきは無いとすると、なんか寂しい気がしたのです。

ただ、数日続けていると、神が与えた機能は、私に永遠の平安や満足を与えてくれたことはなかったとわかり、手放そうという気になり、やっと次に進もうとすんなり思えました。

このあとに続くワークは、

私の機能と幸せはひとつであること
愛が私を、愛と同じに創造した
愛は不満を抱かない
私の不満が、私の中の世の光を隠している

と続き、今日のワークの

私の救済は私の中から訪れる

に繋がり、どんどん私の本質に近づいてる感じがしています。

このワークは、私の意思と神の意思が同じであるということを悟るための練習とかかれていますが、本当にそうだと感じます。

私たちが、自分がみている世界を幻想で作り出し、それによって神から分離できると思ったように感じるのですが、分離するために、神と真逆の病気や死にまつわる恐怖の意思を自分に言い聞かせたのですが、やってもやっても、繰り返し思うのは、幸せになりたい、平安でありたいということだというのは皆さんも同じ気持ちと思うのでうが、この幸せでありたい、平安でありたいという意思こそが、神と同じ意思なのではないかと思いました。

これを感じるのは、神が私たちの中に残してくれた聖霊の働きかけなのではないかなと感じます。

というのが、今日までの私が感じたところです。

世間はコロナさんの活動で大変ですが、即刻鎮まってくれることを祈ります。

全ての心に平安をもたらすことができますように。