ホツマが人生学習で得てきたこと

ホツマがいままでの人生で学んできたこととかを、みーんなはきだしまーす。

意識とは何か

f:id:hotsumax:20220117081652j:plain

こんにちは、ホツマです。

疑問と言えば、意識とは何か、死んだらどうなるかというのも疑問でした。
自分の考えの整理のために書き出しておきます。

日本の神道では、死んだらみんな神様の元に帰るという考え。

仏教では、死んだらみんな仏になるか地獄にいく?

老子道徳経では、無に帰るのかな。

あと、輪廻転生するという考えたかもありますよね。

最近の科学では、いまだに生命の元や意識というのを解明来てはいません。
脳の反応を見ることはできますが、たとえば、コップをつかむという行動を、脳波と腕の筋肉の動きとを観察したところ、腕の筋肉の方が脳波よりも早く反応するそうなので、脳が意識の元だとは言えないそうです。

また、輪廻転生も欧米では科学的に研究が進んでいて、過去生の記憶がある人の例えば前世の親とか自分自身の記憶をもとに調査すると、本当に見つかるものもあるそうで、過去生はあるという認識が広がっているそうです。

じゃあ、意識は日本で言うと魂みたいなもので、ずっと続くんだろうか。
永遠になんの目的もなく、ただ輪廻転生し続けるんだろうか。

この世界を認識しているこの意識は実感があるけど、意識が無かったらこの世界もないんだろうか。
輪廻転生がありそうだから、意識が無くなるというのはなさそうだけど、いつ生まれたんだろうか、いつか無くなるんだろうか。
何もないということがありうるんだろうか笑

これらのことを趣味の範囲で調べてましたが、考えても考えても答えはでないですよね笑
何しろ確証のないことばかりが検討の基礎データになってるんだから笑

とはいえ、人生では自分なりの答えを出していくことが、生き甲斐につながるような気がして求め続けてたら、奇跡講座にたどり着いたですね笑

奇跡講座は神が存在する前提で書かれてるので、神を拒否してる人は一見すると読みたくもないかもですね笑

ただ、私はこうも思ってます。
奇跡講座で神と呼んでいるものは、私たちの意識の根本とか本質のことと言えるのではないか。

例えば、自分の体に例えると、私の意識が神だとして、手足や内蔵や私の意識と潜在意識に従うものがあり、それぞれが個別に判断して動くときもあると思いますが、基本的には私の意識に沿った動きをしてくれます。
言葉とかでは手とか足とコミュニケーションしてませんが一心同体、というのとにてるのかな。
手とか足とかが自分達の自由を申し立てて私の意思に反して勝手に動いたら困りますよね笑
もしそうなったら、手も足もなんとか私の意思の通りに動いてくれるよう導くのではないかと思いますが、それと似てるかなと笑

そう考えると、無心論者の人も心理学の1種だくらいな認識で読めませんかね笑

ちなみに、奇跡講座では病気について、私たちの意識が病気という状態を求めてそれに体が忠実に答えているだけなので、本当に治癒できるのは自分自身しかいない、と定義しています。
自分の力って大きいな笑

さて、私たちの意識とは何か、については、とりあえす奇跡講座でいってる、神が私たちの根本で、私たちはその一部であり、一心同体の神の子としての意識だということで、進めてみようと思ったのですが、神というのは意識があるということが前提で、意識がないってことはあり得ないということなんだなとも思いました。

ただし、奇跡講座でも注意として書いてますが、意識かがあるとかないとか、神とはなにかとかを哲学的に突き詰めていっても、実は私たちがこの世界にフォーカスしてる時点で、理解力や認識を自分で限定しているので、真理について本当に理解することはできないようですので、逆に哲学や神学の議論でこの世界に足止めしようとする自我のワナとして使われかねないので、いろんな議論にはとらわれない方がいいようです笑

ということで、私は奇跡講座で整理した考え方で、意識とは何かという疑問に終止符を打つことにしました。

これ以上突き詰めるより、私の本質の意識に戻ることの方が重要に思うので笑

誠心誠意、気楽に明るく楽しく世界を赦して人生を送ろうと思います笑

神が私たちをいまでも愛してくれてることに感謝。