ホツマが人生学習で得てきたこと

ホツマがいままでの人生で学んできたこととかを、みーんなはきだしまーす。

奇跡講座 この世界は混乱を土台としてきた

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こんにちは、ホツマです。

今日奇跡講座のテキストを読んでいて、以前読んだときにこれが私のこの世界に対する疑問への答えだなーと思った文章にまた出会ったので、共有しておきます。

29章2-7からの抜粋
ここでは次から次へと混乱が続いていく。というのも、この世界は混乱を土台としてきたからであり、それより他に、世界が立脚するものはないからである。4世界は常に変化しているように見えるが、その土台が変わることはない。5だが、それこそが混乱が意味する状態でなくて何だろう。6混乱している者たちにとって安定は無意味であり、変移や変化が、彼らが人生の拠り所とする法則となる。

以上抜粋ですが、この世界は、宇宙の仕組みは全部はわかってませんが、常に星々がお互いに影響しあって回転してるし、生まれては死んでるし、地球にフォーカスすると、地上は天気も地形も自転も地軸も変化してきたし、地上の生物もお互いに影響しあって生まれては死んでるし、人間にフォーカスしてもお互いに影響しあって動き回り、生まれては死んでるし、人間の皮膚や体内では微生物が住んでいてお互いに影響しあって動き回り、生まれては死んでるし、人の心もコロコロと変化するし、この世界への理解が深まると、変転流転し混乱に満ちているのに、花びらの形とか貝殻の模様とか原子分子の繋がりとかに完全な規則性があり、完璧な秩序の上に成り立っていると感じられるのですが、私はずっとこの混乱と秩序がどちらが真理なんだろうと疑問に思ってました。

秩序が真理だと思いたいのですが、秩序を保とうと仕事や人間関係をどんなに気配りしても、どこかで抜け漏れや、外部要因などのアンコントローラブルな出来事が起きて、秩序を保てないときが多々ありますよね笑、それでも結果オーライにはなることが多いんだけども、いつかは老いて死んでいくのは避けられませんよね、自分自身に混乱が内在している笑

誰かが、生きることは死ぬことと見つけたり、と書いてたものがありますが、武士道でしたか?、まさに、生きることは死ぬことと同じなんじゃないか笑

いやいや、生きてるのは死んでないんだから違うよと言う人もいると思いますが、その時の瞬間だけ切り取ればそういえるけど、誰もが時間を止めることはできないのだから、生きたら必ず死ぬと言うことなので、生きることは死ぬことと同じなんだと私は思います。
意識というものが、生きてるときの状態と死んでるときの状態の変化だといってる人もいますよね笑

老子道徳経には、この世界は混沌から生まれ、陰と陽のバランスで成り立っているというようなことを書いてると私は理解したのですが、まさに、この世界を見渡すと、混沌が基本にあって、対立するものの攻め合いで動いていると思います。

じゃあ、混沌や混乱が真理なのか、そんなら永遠にみんなが幸せや平和になる世界なんて作れないじゃないか、なのに何でほぼ全ての人は幸せや平和を求めるんだろうかと、疑問でした。
いやいや、陰暴論で言う7人とかその手先は平和や幸せは求めてないだろという人もいるかもですが、おそらくそういう人がいるとしても、自分や家族や大事な人との幸せや平安を求めて色々やってるんだろうから、思いは同じなんじゃなかろうか笑
まあ、奇跡講座的にはその人たちも私自身であり神の子として1つであり愛と光と平安そのもので親切で善きものなんですけどね笑

そして今回の文章を踏まえた奇跡講座の理論です笑
この世界は夢であり、神や神の子からの分離を願望とした結果の混乱を土台にした世界だが、私たちの本質である神の子は、神と同質の愛と光と平安と一体性そのものであるから、この世界のあらゆるものは私たちを満足させることはできない、なぜなら私たちが神と反対の性質を願望したからだ。

これで、私の疑問は晴れました笑
この世界は、私たちが思ってる通りになっていたんだ笑
私たちはお互いに罪があると攻撃し合い、心の中の罪悪感を増大させてきて、完全に分離していると信じきって、もともと1つだったことも、分離を自分が願望したことも忘れてしまうまで行き着いたんだけど、この世界を取り消すのも私たちの意思が必要笑
ただ、これを本当に確信するにはこれから赦しを続けて奇跡を何度も見て、自分の中の罪悪感を聖霊に取り消してもらい、自分の外側に投影していた罪悪感が無くなるまで続ける必要があるとは思いますが。
このからくりに気づかないと、幸せになるとそれを壊したくなったり、暇になると騒ぎたくなったりなんか食べたくなったり笑、自分の自我に振り回され続けるけれど、いつか疲れて平安を求めるという、混乱の時間を体験するわけです。

そう、まさに体験があるだけで、この世界は私たちが思い描いてるだけで存在していない笑
私たちが毎晩見る夢も、体験はあるけど存在していないですよね。
私たちが毎晩見る夢は、この世界が夢であることをカモフラージュするための仕掛けなんだ笑

この世界が存在しないと言えるのはなぜか。
それは、神は混乱を意思してはいないから。
神の意思以外のものは存在させない、というか存在できないんではないかと思います。

混乱してるものはお互いに攻撃しあっていずれ相互に傷つき消えていくでしょうから、永遠には残れない。
もし、傷つけあって片方だけ残ったとしたら、寂しくなって死んじゃうか、後悔して真理に気づくとかで永遠の神の元に目覚めるのでは笑
これはわたしの妄想ですが笑
つまり、一時期存在できるものは、永遠の時間から見たら既に過ぎ去っていまは存在していないものなので、存在してるとは言えない笑

なんか禅問答みたいですが笑、私はいまはこんな風に理解してます。

だから、この世界を変えることが大事なのではなく、私たちが聖霊に導かれて必ず神の元に目覚めると信じて、赦しを実践して自分の中の罪悪感を取り消してもらうことだけが大事であり、肉体も時間もこの世界も、その為だけに役に立つことができ、いずれこの世界は優しい夢に変わっていって、神の元に優しく目覚めさせてもらえると言うことだそうです笑

毎日大変なことがあったとしても、笑おうと思えば笑えます。
笑えば少しは元気が出ます。
何よりも、この世界は夢なんだから、やれるだけやって、あとは運を天に任せるという気持ちになれるので、奇跡講座の考え方は私は好きです笑
そうすると、八方塞がりだと思ってた状況がなんとかなるときもあるし、やっぱりだめだったけど人生はなんとかなる場合もあります笑

私たちの明るい心で世界を照らしていきましょう笑

愛と光と平安に感謝。