ホツマが人生学習で得てきたこと

ホツマがいままでの人生で学んできたこととかを、みーんなはきだしまーす。

ホツマと神道とスピリチュアル

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こんにちは、ホツマです。

今日は何か書いてみようと思ったときに浮かんできたキーワードについて書いてみたいと思います。

まずはホツマについて笑

なんでこの名前にしたかというと、日本の古文書にホツマツタエというのがあって、漢字だと秀真伝と書くんですが、なんか響きがいいのと、東日本に昔々にあった国の尊称?みたいな記事もあったのと、この古文書が古代の神代文字で書かれていてロマンを感じたのと、中に書かれてる内容がとても美しく調和してるので、私もそんな存在でありたいという思いからでした。

今となっては、奇跡講座を学んで、過去も未来も、この世界自体が幻想で、全ては私の中の罪悪感の投影だから誰にも罪はなくひたすら赦す、と決心したので、日本の古代史があるかないかも興味はないのですが、たぶん過去世で関わりがあったんでしょうね。

思えば、子供の頃から神様仏様が好きで、キリストさんなんかは信者でもないのに尊敬してたんですが、神様仏様キリストさんの宗教は、何だか違うような足りないような気がしていたものでした。

日本の神道は明確な教義はないし、古事記とかもケンカと失敗とやり直しの歴史が書かれていて、これでよく宗教としてなりたってるなと海外の人には思われてると思いますが笑

でも、宗教は必ずお金が必要になりますので、その辺が特に不思議というか、本当の完璧な神様ならお金は必要ないし、壺もお札も意味なくて、いつも神様が一緒にいてくれて依怙贔屓もしないだろうし、まして神様が創った子供である私たちが苦しむようなことを与えるなんてありえないよなー、と思ってました。

苦しいことを乗り越えて精神的な成長をして神様になるんだー、という人もいたけど、気持ちはわかるけどなんで苦しんで成長しなきゃならないんだろう、楽しく成長できた方がいいのに笑、と思ってました。

色々と神道の本とwebを読み漁ってちょっと神秘的なこともあったんですが、そのうちに陰謀論とかに出会い、それも調べていくうちになんか変だと感じ、大金持ちになったら良いのでは?と考えて実業家になろうとしたときもあり(なぜ?笑)それも違うなと感じられ、スピリチュアルな本とwebを読み漁っていたんですが、いったい私は何を求めてるんだろうと思ったものでした笑

そして斎藤ひとりさんやレイキやヘミシンクやLNPや退行催眠を体験して、何となく前進している気がするのですが、講座の受講料とかが高いので(適正な金額ですが)お金がいくらあっても足りん状態になるので笑、スピリチュアルもなんか違うなー、どうしたものかと思ったものでした笑

そして今、奇跡講座を学んで、この世界が存在してなかったということ、そしてこの世界から神のもとへ目覚めることを学びたかったんだと確信しました。

私にとっては、社会を知り、宗教やスピリチュアルを幅広く知り、最後に奇跡講座に出会うのが最適なコースだったように思います。

だから、きっと他の人たちも、それぞれに最適なコースを選択しており、出会うべき時に出会うべきものと出会い、確実に神ものもとへ目覚める道を歩んでいるんだと思います。

そういえば、ゲイリーレナードの本にも書いてましたが、早めに奇跡講座を学べたらもしかすると何千回の輪廻転生を短縮できるかもしれません笑

私が奇跡講座を学んでよかったと思うことのひとつに、周りの世界を変えることに努力しなくていいんだということです。

もちろん、生活するために掃除したり、食事を作ったり食べたり、洗濯したり、自分がやるべきことはやる必要がありますが、例えばアフリカの原住民の飢餓を救うことができないとかで罪悪感を感じる必要はないし、他の人を批難する必要もないし、失敗しても誠心誠意対応したら罪悪感は感じなくていいし厳しく言う相手を批難する必要もないし、自分が不快感を感じる世界は全て変える必要はないんだということです。

変えるのは聖霊の役目だからだし、聖霊でなければできないからです。

また、奇跡講座の中には、これを学んだ人は皆神の教師になると書いてますが、真面目な人はもしかすると、私もゲイリーみたくセミナーやっていろんな人に教えなきゃと思うかもしれませんが、奇跡講座を誰かに話して聞かせるのが教師ではなく、ひたすら自分の心の中で世界を赦して、相手が無罪であること、自分とひとつの神の子であると見ることが神の教師のやるべきことと書いてます。

全ての心が目覚めるためにも、私は相手に話して相手を変える努力はする必要はないということだと思います。

ゲイリーレナードみたいな役割に当たった人は成り行き上やることになるんでしょう笑

なんか、前の記事と若干かぶるところもある内容になりましたが、長くなったのでこの辺で終わります笑

私は、全ての心に完全な愛があることを見ます。
この記事が誰かの役に立つことを祈ります。

奇跡講座 薪を割り水を汲む

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こんにちは、ホツマです。

初めて奇跡講座に出会ったときの面白い勘違いを思い出したので、あるあるだと思うのですがちょっと書いてみます笑

初めて奇跡講座に出会ったとき、
おー!奇跡を起こせるんだ!スゴイなー!自分の個人的な悩みの原因も消し去って、世界中の食料や環境や健康やお金や人間関係や社会の全ての問題を一気に解決できるのかも!どんなことをやるとそんなことができるんだろう?
と思って読み始めたのでした笑

読み始めてみると、前の記事にも書いてるようにこの世界は幻想で、嫌なことは全て私の潜在意識にある罪悪感の投影なので、嫌なことは実在してなかったのだから誰にも罪はなかったと赦すことで消えていく、とうことだったんで、それはそれは毎日一生懸命赦しました笑

早く奇跡起こらないかなーと赦せど赦せど、周りの環境が劇的に改善するとか、宝くじが当たるとか、いきなり大金持ちになるとか、スゴイ美人と相思相愛になるとか、不食の人になるとか笑、奇跡的なことが起こらない笑
魔法使えたり宇宙人と交信できたりもないです笑

一年たっていま振り返って比較するとかなり好ましい状況にはなってますが笑、奇跡講座を実践して学んだことは、この世界を好ましいものに変えることが目的ではなく、本来の私たちである神の子に戻ることが本当の目的であるということです。

いまでも完全にはできてないですが、毎日の生活を淡々と続けるなかで、遭遇するどんな些細な心の不快感でも見逃さずにすかさず赦すということの積み重ねで、もしかすると今回の人生で寿命が尽きるときまでに平安な夢に移行して、神の子に目覚められるかも知れないし、次の人生で目覚めるのかも知れない。
つまり、神の子に目覚める目的のためにだけこの世界は役に立つということです。

この世界で何かを成し遂げたからスゴイとか、ましてや奇跡講座を理解して赦しを実践してるからスゴイとか、そんなのは世界が幻想なんだから全く意味がないということなんだと思います。

じゃあ、人生には意味はないのだから虚しい、と思うかもしれませんが、ゲームと同じように楽しめばいいというのがゲイリーレナードの本に書いていて、私もそう思います。
ゲームも仮想世界なので意味はないですが、楽しむこともできますよね?
のめり込みすぎると依存症になるのは、この世界が実在してると思い込んでる時点の私たちとにていますね笑

毎日淡々と、この世界は幻想であるということを常に意識して、遭遇する不快感を赦すことで潜在意識の罪悪感を聖霊に溶かしてもらうという営みを続けることを、奇跡講座で有名なケネスワプニクさんは「薪を割り、水を汲む」という仏教の説話を例に話していて、とてもよく理解できました。
ここ↓で音声も聞けるので興味のあるかたは聞いてみてください。
https://jacim.com/jcm/?p=1674

瞑想をしていると、光を見たり、好ましいビジョンを見たりすることもありますが、私たちの本質が神の子であり、物質ではなく神の愛や平安なのだから、光やビジョンを見ることも重要なのではなく、そこに心の平安を見いだせるかということが重要で、見たからスゴイとか見れないからダメだとか思うのは自我の誘惑なんだと思うので、すかさず赦すといいのかも。

この世界が一人の神の子の心のなかに作った幻想で、人、物、エネルギー、宇宙人、全てが神の子の心のなかにあるのだから、全てが神の子とも言えるので、全ては別の物に見えるけど、本当は全部私自身なんだということがわかると、相手を攻めることは自分を攻めることだとわかり、赦すのももっと容易になります。

私たちが内なる平安を確信できれば、幻想である外側の出来事には左右されず平安な夢(幻想の人生だけど平安な人生)に移行する、死さえも私を動揺させることはできなくなると、この世界に生まれてくる必要がなくなり、全ての心がこの状態になれば、この世界は自然に消えて無に還る、とゲイリーレナードの本で読んだ記憶がありますが、そこまでいくために、薪を割り、水を汲んで、幻想の世界を楽しんで行きたいと思います笑

この記事が誰かの役に立つことを祈ります。

過去生

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こんにちは、ホツマです。

今日は続けて投稿します。

さっきの投稿を読んでたらこれも書こうと思ったのでね。

輪廻転生ってあるんだろうかと考えたことのある人は、東洋人は多いほうだと思うのですが、西洋の人はキリスト教で輪廻転生思想が禁止されてきたから一昔前はほとんどいなかったそうです。

でも近年脳外科医が自分で経験したり、輪廻転生の証拠と思われる情報が多くなるにつれて、西洋の人も信じる人が多くなってるそうです。
私はカウントしたことないですけどね笑

奇跡講座では輪廻転生はあると言ってます。
と書くと語弊がありそうですが笑、私たちが輪廻転生と考えてるものは私たちの心の中で起こってるように感じてる、といった方がより正確かもしれません。

前の記事にも書いたとおり、既に幻想の世界が終わるまでの過去、未来の計画は作られてるので、実は過去も未来も終わってしまった過去で、どの時代に生まれるか、どの星に生まれるかなど時間軸に沿って選択されることはないそうです。
その時点で最適な赦しができるように聖霊にサポートを祈っていると、その時に自分にぴったりの人生を選択できるようになってるそうです。

思えば私の人生もそうかもしれません。
ちょうどいい時期に奇跡講座に出会って、真理を思い出して、今生でこの世界を卒業したいと平安な心で本気で思えるようになりました笑

過去生の私の体験で言うと、加賀さんのQHHTという退行催眠を受けて、映像や感情で鮮明に思い出しました笑
号泣する感情を押さえられませんでした。

QHHTのよいと思うところは、けして無理に誘導しないで、気楽に連想ゲームをするみたいにするように誘導するところかなと思います。

あってる、あってないはあるので、劇的な体験ができるとは限りませんし、思い出したと思った体験が過去生かどうかは重要ではなく、そのときの自分にぴったりの連想ゲームができて、そのときに最適な助言になるものを体験できるようです。
それを期待して受けた方がいいかもですね。

あと、退行催眠は普通は1回受ければ充分だそうです。
それと、QHHTは3時間くらいかけてやるので、スケジュールに余裕をもって受けた方がいいですね。
あっという間に終わった感じがしますが笑

私はそのとき愛のある生き方の重要性に目覚めましたが、すぐにその通りの言動ができるわけではなく笑、この世界は神から離れるということを自分に教え込んで作り出した世界なので、神に戻るときも戻るための心のあり方や赦しを自分に教え込んでいく必要があるので、私は去年奇跡講座に出会ったということです。

でも、真理を学ぶ方がなん万倍も楽なはずです。
難しいと抵抗してるのは、私たちをこの世界にとどめるために作り出した自我のはたらきなので、理性で自分の選択を赦しに修正する必要があります。

この赦しよって罪悪感を溶かしてくれるのが奇跡だと書いてたように思います。
この世界での成功や運、不運ではないんですね。

過去生を認めると、いま目の前で起きてる嫌なことも私の過去生とされてる時間軸で私が相手にしたことが繰り返されてるだけなのかも知れないと思えます。

ただ、過去生にこだわるのも自由なのですが、奇跡講座を学ぶと、その過去生も存在しなかったと考えるようになるので、赦すのもより納得感があると思います。

この記事が誰かの役に立つことを祈ります。

奇跡講座 レッスン289 過去は終わっている。それが私に触れることはできない。

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こんにちは、ホツマです。

今日は、

過去は終わっている。それが私に触れることはできない。

というワークに取り組んでいます。

このワークを読んだとき、私たちが苦しんだり悩んだりするのは、過去に起きたことを思いだしているからなのかもなと思いました。

例えば、大変な仕事をやっていても、昔から同じ量や複雑さの仕事をしている人は苦しまないです。
苦しむ人は子供の頃の遊んでばかりの時を思い出すとか、学生の時のエンジョイしてた時を思い出して、または、楽な仕事をしてる人と自分の状態を比較して、それで苦しむのではないでしょうか。

なぜそう思うかというと、私が自分を振り返ったときにそうだったからです笑

病気についても、過去に健康だった状態と比較するからより辛くなるのではないでしょうか。
例えば昨日よりは調子がいいとか思うと少し気が楽になるのでは?

私たちは多くの場合、過去の記憶が今の状態や心に影響を与えるのを許可していると思います。

例えばいま全財産が100円しかないとき、ホームレスの人ならいつもは持ってないのだからきっと喜んで何に使うか考えると思いますが、サラリーマンで普段5000円のお小遣いの人ならたった100円しなかないのかと思うかもしれないし、社長だったらもしかしたらとっても惨めな気持ちを感じて絶望するかも知れませんよね?

つまり過去の記憶を思い出して、それが今の私たちに影響を与えることができると許可しているからこのような苦痛が感じられると思っているのではないでしょうか。

奇跡講座では、この世界は実在しておらず、神の子の心の一部のなかで思い描いている幻想で、過去も未来も実在していなくて、永遠の今を生きる心(神)しかないといってます。

この幻想の世界を思い描いた瞬間に、この幻想の世界が終わるまでの全ての過去と未来が計画されて、神のなかではすでに全て過去になっており、私たちは過去に思い描いた計画を時系列的に思い出している夢を見ているだけなので、穏やかに神の元に目覚められるように、どの人生を生きるかうまく選択できるように神が聖霊を通してサポートしてくれていますが、そのうまい選択というのが、苦痛や嫌な物事や人を赦すということです。

なぜ赦せるかというと、この世界は幻想で、私たちが自分の潜在意識で考えてることが実在してるように感じているだけだからで、相手の人には罪がなく、世界にも罪はなく、私にも罪はないからです。

例えばこの世界にあてはめてみると、空想とか夢とかで、好きな人がとってもひどいことをしたと本気で感じたら、夢が覚めてその人にあったときちょっと警戒したり嫌な気持ちがするのではないでしょうか。

その嫌な気持ちを起こさせた相手が悪いと言うこともできますが、冷静に考えると、夢の中でその人に嫌な役を演じさせた私の潜在意識に原因があっただけで、相手には罪はなく、私も夢の中で相手に演じさせただけだから、なんの罪もないのだから全て赦したほうが心が安らかだと思いませんか?

私たちが苦痛を感じているのが、夢で見たものを信じきって、相手や状況や出来事や自分に罪があると攻める考えが原因だとわかったら、苦痛を感じているのが不思議に感じられませんか?

催眠術で痛みを感じなくさせたり、コメディーをみてたらガンが治ったという事例も、思いは現実化するといった事例も、それを証ししているように思います。

といっても、私もテキストは昨日で読了して、ワークも終盤に差し掛かり、かなり奇跡講座を理解して赦しを毎時毎分実践してますが、忘れるときもあるし、苦痛を感じそうな出来事に遭遇することもあります。

そのとき思い出すようにしてるのは、この人生で起きることは既に計画済みなので、遭遇するものは遭遇するし、遭遇しないものは遭遇しないんだから、じたばたしても始まらない、遭遇したものでも実在しないんだから相手や状況や自分に罪はない、これを赦しの機会だととらえて喜んで赦すことで、私たちの潜在意識にある罪悪感を溶かしていこう、ということです。

世界の全ての問題は、私たちの潜在意識にある罪悪感が全て消えない限り解決しないということを、ゲイリーレナードの本で読んだ記憶がありますが、とても府に落ちます。

奇跡講座の考えを表した一番短いキーワードは以下ですね。

実在するものは脅かされない。
実在しないものは存在しない。
ここに神の平安がある。

奇跡講座は、あくまで個人的に自分の心を変えるのが目的で、何かの事業にするものではないし、宗教的にするものでもないし、この世界での成功法則とするものでもない、というのがとてもよく理解できてきましたが、この点が本当に大切なことだと思います。

長々と書きましたが、自分に言い聞かせている感じがします笑

ちなみに、もっと詳しく知りたい人は、日本の奇跡講座公式サイトがおすすめです。
https://jacim.com/acim/?page_id=1108

この記事が誰かの役に立つことを祈ります。

奇跡講座を発行している、内なる平和のための財団さんに感謝します。

奇跡講座 レッスン272 幻想が神の子を満足させられるだろうか

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こんにちは、ホツマです。

今日は奇跡講座のレッスン272を実践中です。

幻想が神の子を満足させられるだろうか。

幻想と言うのは、奇跡講座ではこの世界は神の子が心の中に思い描いた実際には存在していないもの、という意味で幻想と呼んでいます。

この世界はざっくり言うと、神が創造した神の子の心の一部が、神から離れたらどうなるかと試してみたところ(だったような笑)、神から分離してしまったという罪の意識、言い換えると罪悪感が沸いてきて、その罪悪感がものすごい恐怖だったのでそれから逃れるために、その罪は自分ではなく自分以外の外側にあると思い込むために作り出したが、罪や恐怖は神の属性にはないので、この世界は実在できず、ただ神の子の一部の心の中に幻想としてあったもので、天国ではもうなくなっているものということです。

時間という概念も実在せず、過去も未来もなく、永遠の平安な現在が実在するだけというのが実相なようです。

この世界は、常に誰かに罪を着せて攻撃するようにつくられているので、どんなに工夫しても対策しても本質的に良くなることはないという、うーむ納得笑

こんな幻想の世界が、神が創造した神の子を満足させられるわけはないですよね。

でも、そんな当たり前のことが、私たちはわからなくなっているのだということに気付くのが重要なことなんですよね。

たぶん、いやいやこの世界楽しいじゃん、俺はずっとここに居たいよって人は思った通りにすれば良いと思うんですが、真理って何だろうとか、もうこんなところは嫌だと感じてる人は、自然と奇跡講座のようなものに出会うように計画されてるんでしょうね。
※追記:こうやって神の元に導いてくれるのを、聖霊がやってくれてるようですね。

奇跡講座も一年近く取り組んできて、ワークもそろそろ終盤となり、核心に迫るのかと思いきや、はじめの頃に書かれてることがほぼすべてで、それがしっかり腹に落ちて習慣化させるのがこのワークの主眼なのかな。

ここまでやって来ても、大変だと感じることは出てくるんですが、それを現実化させない、力を与えないというのが、本来の平安な状態に戻る唯一の方法なんだなーと強く思います。

脈絡なくひらめいたことを書いてしまいましたが、皆さんも興味があったら読んでみてくださいね。
必要な人にはきっとこの記事も届いていると思います。

全ての心に神の愛と光と平安を。

レッスン221 私の心に平安が訪れますように、雑念が全て静まりますように

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こんにちは、ホツマです。

今日は、レッスン221「私の心に平安が訪れますように、雑念が全て静まりますように」についてシェアします。

ワークの第二部に入ってまして、ここからは真理の直接的体験を追求していく、ゴールが近づいており、一時間毎に神のことを思いだし、毎日の中心概念を繰り返し、神が顕現するのを待つ、と書かれています。

その初日がレッスン221ですが、私の場合、またしても辛いことが山盛り起きました笑

その都度これは幻想だ実在してないと言い聞かせるものの、でもどうやって解決したらいいんだ、もう無理だー、とホントに辛い気がして、奇跡講座やってて意味があるのか間違ってるんじゃないか、とか色々考えましたが、いままで続けてきた効果か、いやいやこれがエゴの計画だ、苦痛のように感じられるものは私の記憶にある罪の投影なだけで、これを実在化させないためにも赦すことが大事だという思いが浮かんで、周りの人も何もやってはいないし私もなにもやってはいない、と言い聞かせてなんとか乗りきりました。

とはいえヘトヘトで帰ったんですが、よく振り返ると、そのあと周りからの助けがあったり、進められているものもあったりで、実は平安が訪れていたんだということがわかりました。

自分を傷つけることができるのは自分だけだということと、神の助けがいつでもあること、苦痛のように感じられるものは私の記憶にある罪の投影だということをとても強く実感した日でした。

全て心に神の愛と光と平安を届けられますように。